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(yaruoからリブログ)
何らかの個人的な事情で“パワースポット”などというものを信じ込む人がいるのは、社会の病理というより正常な生理に属すると考える。誰しも気の迷いに囚われたり、思慮が足りなかったりすることはあるからだ。そのような人の心の弱さに付け込んで商売のネタにする人がいるのは悲しいことだが、度を過ぎた悪徳商法でない限り社会の健全性を損なうことはないだろう。しかし、「まちづくり」という文脈に、オカルトまがいの妄念を肯定的に位置づけるのは、さすがにちょっとまずいのではないだろうか。
個々の事例紹介をみると、たとえば龍泉洞内の地底湖に安らぎと感動のように、あえて「パワースポット」という語を回避したような文章もあれば、分杭峠の?ゼロ磁場?にリピーターのように「一線を引いた対応」を強調した文章もあり、必ずしも“パワースポット”万々歳というわけではないのだが、この特集記事の基調はかなり危ういように感じられる。読んでいて気分が悪くなった。
以前、「地域振興」という美名の下で - 一本足の蛸で書いたように、もともと「まちづくり」とか「むらおこし」の類にはあまり好意的ではないのだけど、この「“パワースポット”を活かしたまちづくり」からは何というか、その、腐臭のようなものが漂ってくるような、厭な気持ちになったのだ。