陳腐だと自覚してはいるが「あんたよくやってるよ」って他人に認めてもらわないとやりきれない日もある
(igiからリブログ)
「つらいのはあなただけじゃない」という励まし方はぜんぜん本人の不安の解消にならないのに何で普及してるのだろうか。
(chptr22からリブログ)
「楽をしたら仕事ではない」と思ってる人って
「子供に優しくしたら教育ではない」とか思ってそう
(otsuneからリブログ)
この時期の夜の住宅街は、
夏のあいだ窓を開けっ放しにしていた人たちが閉め始めるタイミングなので
ことさら静かに感じられる
(railroad10111からリブログ)
人間って、もしかしたら二人で散歩したくて結婚するんじゃないか、なんて思ったりしました。
散歩って言うのは、生活の隙間だと思うんです。恋人や愛人とするのは、どうしても場所を決めて約束して待ち合わせて出かけるもので、デートや旅行であっても、散歩ではない。生活がないから。好きな人の日常生活の隙間が欲しいというのが、つまりその人と結婚したいということではないか。

散歩もの/谷口ジロー (via 010734)

そうなの

(via miamumu)

(ryusoulからリブログ)

・いまどきの若い女の子は、
なんでもかんでも「かわいい」しか言わない、と、
よく大人たちが苦々しく言っていた。

ぼくは、かなり昔から、その大人たちと逆の気持ちで、
「かわいい」ということばが、
どれくらい可能性のあるものなのか、
とてもおもしろく思って期待して見ていた。

八十年代のはじめのころに
雑誌『ビックリハウス』で連載していた
「ヘンタイよいこ新聞」というページのなかで、
「かわいいものとはなにか?」というお題を出していた。
それについて、主に女子高生くらいの人たちから
回答のハガキがくるわけだ。
「ももひきをはいているおとうさんは、
妖精みたいでかわいいと思います」だとか、
「10円玉の10の下にあるリボンはかわいい」だとか、
いわゆる「赤ん坊はかわいい」というような言い方を、
するりと抜け出したようなものが集まってきた。

なんでもかんでも「かわいい」と言ってるのではなく、
「かわいい」ということばが、実にひろびろとした
「好意の容れ物」になっているということなのだ。
ぼくは、この「かわいい」ということばのの育ち方に、
ずっと注目していたように思う。

「ヘンタイよいこ新聞」のころから、もう三十数年。
「かわいい」は、アニメ文化などとも組み合わさって
「KAWAII」と変化して海外に渡ったりもしているし、
「エロ」やら「ブス」やら「キモ」やらという
むつかしめの概念とのコンビネーションも完成させた。

最近、このことばがあってよかったなぁと思うのは、
『ミグノンプラン』にいる老犬や、
身体の不自由などうぶつのなかに、
「かわいそう」よりも「かわいい」を発見して、
友森代表やらみんながつきあっていることだ。
そうなのだ、「好意の容れ物」としての「かわいい」は、
愛の総量を増やすようなちからを持っているのだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ただ、男性は、この「かわいい」をうまく使えないのです。

(shinodddddからリブログ)
新人の時に「どんなに無理難題で不可能なことでも、その場でお客様に出来ないと即答で言ってはダメだ」と最初に教えられた。ポーズだけでも聞いてくるといって、その場から一旦離れて、少し間を置いて戻り、出来ないとお伝えしなさいと。これやると明らかに客側の納得度合いが違うのよね。
(ryusoulからリブログ)
「じつは、友だちがどこでなにをしているかを一日のどんな時間でもわかると、正直いって、すこし淋しくなくなるんだ」
(ryusoulからリブログ)
心って必ず何かを考えてるのね。ほっておいたらたいていは否定的なことを考えるようにできている。
(ryusoulからリブログ)
「子どもに無理やり勉強しろといったり、迎合する必要はない。ことテクノロジーに関しては、特に」彼は言う。「分かりやすい言葉と、良いストーリー、本物のゲームの仕組みを使えば、普遍的なものを引き出すことができるんだ」。